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Peterさんのご帰還 投稿者:布施院  投稿日: 8月21日(土)08時21分26秒
そのまんまPeter様からメールをいただきました。永の東京単身赴任生活を終えて、8月21日付けで大阪の本社勤務に戻られるとのことです。 ご自宅が和歌山県とのことですので、ご自宅にもどられほっとすると同時に今しばし通勤でがんばらなくっちゃという感じでしょうか? それでも都会の一人暮らし、短い通勤時間の便利生活よりもやはりご家族との通勤少し不便生活(?)の方が100倍もいいに決まっていますよね。 日本全国、世界中どこでもInternetでつながっているわれら。 駅にお見送りに伺い万歳三唱はいたしません。ライブのスケジュールが決まりましたらまたお知らせください。掲示板への投稿もお待ちしております。(布施院)

青春の志賀高原バスツアー 投稿者:布施院  投稿日: 8月21日(土)08時11分49秒
志賀高原のバスツアーは大成功だったようで何よりです。お祭り、蛍狩り、天の川、花火と、皆様が闇夜に乗じて少年少女に化けてはしゃいでいた様子がしっかりと伝わってきます。ご旅行の前後に東北から能登半島さらには朝鮮半島までのびて長期停滞していた寒冷前線とその西側をかすめるように近づいていた台風15号の影響で不安定な天候をもろともせず今年の二村隊長はたとえ土砂降りの大雨に遭遇しようとも、台風はやがては去る、陽はまた昇る、の人生観を体現しているようにお見受けします。 お祭り、蛍狩り、天の川、花火も大雨、がけ崩れのあとはひとしおいとおしく感じられたのかも知れません。それともお天気も本当に良かったんでしょうか? 「無事帰還」のタイトルが示す不安を催すような前奏曲が暗雲、稲妻、土砂降り、がけ崩れを暗示しているような気がしますが。 
というのはやっかみで、実は私は16日から19日まで八ヶ岳の原村に家族とおりました。 すがすがしい空気のなかで浴びる土砂降り、大空に飛び交う暗雲、光り輝く雷、手もしびれるほどの冷たいプール、かきむしりたいほど痒いやぶ蚊の刺され痕など、寒冷前線と台風と自然の恵みを身体全体で受け止めて帰ってきました。それでもうだるような今年の関東平野から一時抜け出せただけでも快適でした。負け惜しみ半分ですが、それでも涼しい気候のなかで浴びる雨は新鮮でした。(布施院)

無事帰還 投稿者:3年B組課長(山田)  投稿日: 8月17日(火)00時47分26秒
皆様こんばんは、ご無沙汰いたしております。二村隊長の指揮のもと、ただいま、志賀高原バスツアーそして、ハイキングから無事帰還いたしました。清水副隊長が都合で不参加であったのが残念でしたが、太田さん、キッコさんと楽しく過ごすことができました。昼間の様子は添付の写真をご参照ください。夜は国定忠治祭りの大抽選会、天然の蛍狩り、満点の星空に漂う天の川、頭上で炸裂する花火(尺球)と、いい思い出だできました。隊長は来年も考えているようです。皆さん、是非ご参加ください。

http://photos.yahoo.co.jp/n3c787n2


テレビに釘付け 投稿者:布施院  投稿日: 8月 8日(日)01時11分51秒
高校野球は入場式から大感動。あどけない面影も残る高校生なのにみんなひたむきに戦う姿にまた感動。少年Jリーグなどもありついついゲームに見入ってしまいだらーっと一日が過ぎそうだったので、午後の暑い太陽をあびて一人四つ手をもって近所の田んぼの用水路に魚を取りにいくが、クチボソばかりで収穫ゼロ。 帰り道にアルザスの白ワインと黒パンなどを買ってきて冷蔵庫に入れる。 夕方からは手賀沼の花火大会をマンションの七階の廊下で見物。 新しい仕掛けの花火ができていることに感心。 アルザスの白ワインに、チーズと黒パンで結局夕食。 サッカーアジアカップ、オリンピック予告編、ついでに冬ソナ、これはちょっとあまりにもテレビの見すぎです。 とはいえ、まずはサッカーアジアカップ、中国観客の大ブーイングのなか良くぞ勝ってくれましたジーコジャパン、天晴れ。(布施院)

スポーツ観戦三昧 投稿者:布施院  投稿日: 8月 3日(火)23時57分25秒
ここんとこジーコジャパンチームの熱戦におもわず大声をだしている自分を発見し苦笑い。 粘りが発揮できずに敗退してしまった男子バレーと違い、絶体絶命の窮地に追い込まれてもあきらめずに捨て身の攻勢に転じての大逆転劇には、思わず人生の勇気を与えられるような気がしてしまいます。小野も、中田もいないのに良くやるわ。それにしても気になった中国の観客席のブーイング。 中国の政治的背景があるものの、終戦処理をちゃんとやっていないつけが回ってきていることに反省。あ、四角い話になっちゃった。 これで、中国との決勝戦になったらなんだか怖い。もうすぐ決まる。(布施院)

運動、ダイエット、お料理 投稿者:布施院  投稿日: 7月25日(日)16時19分10秒
皆様、暑さにもめげずお元気ですか? 私は家族を里帰りさせている4週間を楽しく過ごすため、会社までの車通勤を自転車から歩行に変えて運動量を少しでもこなし、外食を自炊にかえ健康的なものを食べるように心がけ、それも夏の食材を使って楽しくお料理、そして同時にダイエット、という線でがんばっているところです。いかに普段不摂生をしているかはボディラインを見るまでもなく、今岡田真澄という別名でもわかります。 でも体重を落とすのはなかなか大変ですね。 いまはやりのニガリは効くのでしょうか? だれかやってるひといますか? でも、お料理をつくればつい食欲もでるし、いつもの癖で一度作れば量を作ってしまうし、ダイエットと組み合わせるのはなかなか難しいものですね。 ご飯は玄米をおかゆ風にしてしまうことで、カロリーを押さえビタミンB1を取る作戦。 隣にできたショッピングモールのスーパーに食材を買出しに行くのが目下の楽しみ。 でも結局なんとなく太る予感。
尾瀬ハイクの写真を田中のぶゑ様からいただきましたので、追加でアップロードしてあります。 http://jp.y42.photos.yahoo.co.jp/bc/hieronimushk/lst?.dir=/&.view=t(布施院)

青葉城恋歌 投稿者:布施院  投稿日: 7月24日(土)11時40分6秒
今朝たまたま見たテレビで放映されていた青葉城恋歌に関する番組で、これを作曲し歌ったさとう宗幸をみた。これが発表された1978年は僕がちょうどドイツに旅立った年なので、そのときのヒットの状況のことは皆さんと情報を共有することができません。 僕がこの歌を初めて聴いたのはここ数年前のNHKの昼のラジオのリクエスト番組のことでした。初めて聴いたこの曲のタイトルも歌手名も知りませんでしたが、印象が強くて感動したことを覚えています。
http://members.jcom.home.ne.jp/yoogi/essay80.htm
中学生のときに、一、二度当時仙台に住んでいた叔父の一家を母と弟とともに訪れたことがありました。 叔父一家には僕と同い年のいとこの女の子と、2歳年下の妹、それに小さいやんちゃな弟がいました。この僕と同い年のいとこに淡い恋心を抱いた僕は近所の広瀬川で遊んだり、みんなでトランプをしたりしてよく遊びました。 ある時は夏で仙台の七夕祭りの最中でした。 圧倒的にきれいな仙台の七夕祭りの飾りつけのなかを浴衣に下駄で一緒に夕涼みの散歩にいったことなどを思い出します。 この歌の「あの人はもういない」のくだりにくるとそんな思い出や、また別の人のことや、いろいろな過ぎ去りしことがらなどで頭が一杯になってしまい、なぜか涙がでてしまう、今日はとくに。 家族を里帰りさせてしまって久しぶりにのんびり気分かと思いきや、さっそく翌日からさびしい。 土日なのに一人じゃつまんないもんですね。 ついセンチメンタルになっている自分がおかしい。(布施院)

岸壁の母 投稿者:カジッタ  投稿日: 7月23日(金)10時10分23秒
いつも日曜日の朝は7時半の「遠くへ行きたい」、8時の「小さな旅」、続いて「ようこそ先輩」、「日曜美術館」と見るテレビが決まっているのですが、その「遠くへ行きたい」で先日秋田をやっていました。
その中に出てきたんです、あの「岸壁の母」の時のばあさんのそっくりさんが。
秋田に伝わるもののようですが、その名も『ばんば舞』。
おかしくって、おかしくって、あの日の場面がまたよみがえってきて笑いが止まりませんでした。うちのダンナさんも写真しか見ていないのに大笑い。
あの日の「岸壁の母」さん今年は是非秋田に行って『ばんば舞』を勉強してくることをお勧めします。

尾瀬のPhoto 投稿者:布施院  投稿日: 7月21日(水)00時47分39秒
尾瀬の写真をアップロードしました。下記をクリックして「尾瀬、大雨のち晴れ」のアルバムをご参照ください。

http://jp.y42.photos.yahoo.co.jp/bc/hieronimushk/lst?.dir=/&.view=t

清水隊長代理がぬれた渡り木で足をすべらせ、3回目にもんどりうって湿原に倒れこんだ現場には居合わせたのですが、カメラのバッテリが無くなり証拠写真は取れませんでした。(布施院)

尾瀬、大雨のち晴れ 投稿者:布施院  投稿日: 7月21日(水)00時10分2秒
昨日は尾瀬にハイキングにいった二村隊がありました。夜行バスにゆられ明け方に到着、3kmほど沢を下り、尾瀬の湿原を目の前にしてバケツをひっくり返したような大雨だった。 休憩所でしばし雨脚の遠のくのを待ち、増水と激流でながされた木の歩道はたびたび行く手を阻んだ。 流されていなくても所々20−30cmも冠水していて、スリップしやすい。 清水隊長代理も3回も足をすべらせて転んだ。 今年の尾瀬は冷夏の影響でいつもの花々の競演も見られなかったが、後半にやっと薄日も差し、穏やかな尾瀬の表情にもどった。 ぬれながら、転びながら歩けるところは歩いて、今朝ほど雨宿りした小屋にもどったところで、向かい側から来るどこかでみたようなやつに逢った、のが小生。「なーんでお前がここにいるんだよぉ!」なんて、いいたくなりますよね。それでも、二村隊長は花豆のアイスクリームをおごっちゃうは、清水隊長代行は尾瀬のお土産よとかいって、水芭蕉のがらのハンカチをかってくれるは、参加者の一人、3Gの太田のぶゑさんは尾瀬の案内書やCDまでもらってくれるは、みんな優しい! そこから3kmほどバスの終点の山小屋まで戻り、小生は乗ってきたバイクでお先に失礼。皆さんは山小屋の温泉に入って、一杯やって、バスで無事にご帰還なさった、ようですね。
僕は前の晩は寝たのが午前1時ごろ。予定が定まらなかったので参加の申し込みはしていなかったのですが、どうせ休日。家族を里帰りさせていて、どうせやもめ。一度もいったこともない尾瀬に行くのは最初で最後かも知れないとあせる気持ちもあり、朝4時に目覚ましをかけるが、体が動かない。それでも6時にはバイクでスタート。 バイクの上で居眠りしそうなのは寝不足だけでなく、おなかの中の大嵐。 男やもめでちゃんとしたご飯を食べなかったりしたせいかあさからゲリバラの日記。雲行きも怪しいが、おなかの雲行きもさらにあやしい。出発してすぐに不安と後悔の念に襲われるが我慢して爆走。沼田ICをおりて国道120号線をひた走る。道は徐々に山道となり、片品村に入るころには雲行きも本格的に怪しい。おなかも相変わらずやばい。尾瀬では渡り木の上、隠れるBushもなく、まっ平らな地平線に僕のズボンを下げた格好が行列の人ごみの行く手を阻む光景を想像しながらひた走る。鳩待峠には10時到着、一人で沢を降りる。3kmほどいった尾瀬の湿原のふちで二村隊に遭遇。花豆のソフトクリームなどご馳走になり、鳩待峠までご一緒し、一休みして、トイレに駆け込んでからお先に失礼しました。尾瀬の環境破壊にはつながらなくてほっとしました。その足で、日光方面に進路をとり、金精峠をこえて、日光の丸沼、菅沼、中善寺湖、東照宮をへて、宇都宮の母を急に訪ねて驚かせ、渋滞の脇をすり抜けて無事帰宅いたしました。久しぶりのバイクツーリングでした。(布施院)